ヒトはいかにして人となったか 言語と脳の共進化 第I部読了

引き続き読書中。

世界の言語は自発的に進化した。それは設計されたものではない。もしそれを論理体系として意図的に集成された規則と記号のシステムであると考えると、もちろんその効用と目的はあるが、それにしては設計思想のない、癖のある、エレガンスのない代物ということになる。言語は数学的体系というよりも、生物を研究するつもりで進化概念で研究する方がよい。言語は社会的文化的実体で、ヒトというユーザーが押しつけた淘汰圧で進化した。
言語構造は世代から世代へと伝わるときに、子供の心というボトルネックを通らねばならないが、これが言語に対する強い淘汰圧になる。言語は学習の難しいものよりは子供が速く簡単に覚えやすい方が、次の世代によほど効率よく無傷で伝承される。そこで言語は歴史的に子供の期待に添うように変化していく。子供-フレンドリーな論理の言語はそうでないものに優り、置き換わることになる。こうしてみれば子供は格別に利口でなくともよいし、親たちがとくによい教師でなくともよい。生徒も教師もそんなに賢くないということは、言語伝達の生態学にとって避けられない。このニッチに適応の悪い言語は、要するに長続きしない。
――第4章 脳の外のこと p.118

学習というものを、リストに項目が加わるように記憶の数が増し、あるいは有限のばらばらの事例からの帰納法によってのみ一般的な規則が得られるというような一次元的な過程と考えると、言語学習は謎である。学習をこのように狭義に解する限り、記号レファレンスの本質も、子供における記号システム形成能力も説明できない。
(中略)
ヒトの言語能力に生得的なのは、言語またはその構造の事前知識のようななにかではない。ヒトに特別なのは、本能的な言語器官や文法知識ではなくて、記号レファレンスの発見課題に当たって他の種がどうしても遭遇する認知的干渉を最小限にするような、生得的な学習バイアスである。
――第4章 脳の外のこと pp.158-159

認知的能力の未熟な子供の方が言語を学習するのが得意なのは、よく言われるように臨界期がある(ある期間だけ学習のためのチャンネルが開く)からではなく、まさに子供の脳が未熟なために学習に関して特定のバイアスが働くためであるというのが主旨。そうすると、じゃあそのバイアスとはどういうものか? というのが当然の疑問として出てくるが、その話題はきっと次の第II部「脳」へと続いていくんだろう。

ヒトはいかにして人となったか―言語と脳の共進化

ヒトはいかにして人となったか―言語と脳の共進化