ひぐらしのなく頃に 考察 Part 2

本当は昨日のうちに書きたかったのだが、上で書いたような状況だったので書けなかった。もう目明し編は発表されているはずなので今更ここで考察するのも滑稽だが、店頭売りはもう少し先のことだし、それまではネタバレ制限期間と解釈して、せっかくだから考えたことを全部書いてしまおう。
その前に、他の考察サイトへのリンク(見つけた順)。特に参考にしたわけではないが比較のために。

(以下、暇潰し編までのネタバレを含む)

梨花が赤坂に予言を伝えた理由

「死にたくない」という言葉から単純に考えれば、梨花自身が死なずに済むように事件を止めて欲しかったからだと考えられるが、ひょっとすると赤坂と大石が後日この事件について公開したことこそが真の狙いだったのかもしれない。つまり自分の死は免れられないと分かっていて、自分が死んだ後に事件が忘れられることを防ぐために取った行動だったということだ。ここで前提として、鬼隠し編綿流し編祟殺し編は同じ時間軸の上で途中の分岐点から派生した物語と考える(分かりやすいのは綿流し編で、魅音に人形をあげなかったことが分岐の条件となる)。今のところ綿流し編魅音の暴走が原因で当初の予定からは外れた事態だったと考えているので除外すると、予言を伝えた理由が前者(死を免れるため)であれば祟殺し編梨花にとって最悪のシナリオだが、後者(事件を公開するため)であれば最良の(狙い通りの)シナリオだったということになる。
この場合どちらなのかが非常に重要になるが、結果的に赤坂達は出版という形で事件のことを公開したものの、それを期待するにはあまりにも確実性が乏しいので、やはり梨花は自分の死を免れることを目的としていたと考えるべきだろう。

予言に含まれる例外

暇潰し編での梨花の「予言」には、

  1. 古手夫妻および梨花の死因は決まっていない
  2. 梨花のみ殺される日を断定していない

という例外がある。1から、古手家だけは特別扱いがあるようにも見える。2から飛躍して、梨花が殺されるのはそれまでの犠牲者の死とは意味が違い、その年の綿流し当日までに何らかの条件が満たされた(または満たされなかった)ことによって引き起こされる結果なのかもしれない。

梨花黒幕説

以上の考察から、梨花

  • 毎年誰が殺されるか前もって知っている
  • その結果によっては数年後に自分が殺されることを知っている
  • 死にたくないと思っている

にもかかわらず、誰かに事件のことを訴えるようなことは(表立っては)していない。これには何か理由があるはずだ。雛見村の特殊性から外部の人間の力を借りることが難しかったから、という説明も成り立つが、それにしても普段もっと必死になってもいいはずだ。なんとなく、自分自身で解決しようとしているように思える。それどころか自分にしか解決できないとすら考えている節がある。つまり、梨花は5年目の綿流しの日までに何かをしなければならず、それが上手くいかなかったときに殺されてしまうということだ。
ここで何かとは一体何だろう。当然、毎年綿流しの日に起こる一連の事件と関係しているはずだ。ここでまた飛躍があるが、それとは祟りそのものではないか。つまり、毎年誰かを殺しているのは(理由は分からないが)梨花の意志によるのではないだろうか。もちろん梨花自身も好きで人を殺しているわけではないのだろうが、何かとても重要なことと引き換えに仕方なくやっているというところだろう。では重要なこととは? 思いつくのは、

  1. 村の全滅を避けるため
  2. 沙都子のため
  3. オヤシロさまのため

といったことだが、どれもイマイチしっくりこないので行き詰まっている。

毎年綿流しの日に人を殺す理由

表向きに語られているようにダム工事に関連した理由なのだろうか。これは非常に怪しいと思っている。一連の事件は「予言」が行われた時点で計画されていたことなのだから、ダム工事を巡る状況の変化に応じて途中で目的が変化したということは有り得ない。またあらかじめ状況の変化を正確に予測することも不可能で、長期的な計画にはそもそも無理がある。何よりも、障害を排除するために毎年1〜2人ずつ殺すという方法は極めて効率が悪い。どちらかといえば、その日に殺人を行うこと自体が本質的な目的ではないかと考えられる(誰が死ぬかは重要でない)。その意味では、ある種宗教的な意味合いが強いと言えるだろう。あるいは別の考え方として、「木を隠すなら森に」の言葉通り、連続殺人はその中の一部をカモフラージュするために行われたのかもしれない。これは推理小説の定番でもあり、計画的な犯行との整合性も高い。こちらの説を採用するなら、1年目のダム現場監督殺人事件はダミーである可能性が高い。2年目以降の犠牲者がいずれも北条家と古手家のどちらかであるのとは明らかに異なっている。

御三家について

御三家の中で園崎、古手の両家は物語に深くかかわってくるのに対し、公由家の影が薄いように感じるのだがこれに深い理由はあるのだろうか。公由喜一郎の家族は? そういう描写はあったか?

鬼と人間とオヤシロさまの関係に、鬼=園崎家、オヤシロさま=梨花(古手家)を代入すると、人間=公由という仮説が導かれるが、この意味は?

綿流し、祟り、鬼隠し

連続殺人の計画に最初から関係していたのは綿流しのみ。殺人を祟りと呼び行方不明者を鬼隠しに遭ったと称するのは後付け。最初にこれを広めたのは誰か? 自然発生したのか? それとも誰かが誘導したのか?