はくしが100人いるむら

http://www.geocities.jp/dondokodon41412002/index.html

(from http://www.mikamama.com/tdiary/)

ひとしきり笑った後、笑えない現実に気づいて愕然としたり。

100にんのはくしがうまれたら、16人がむしょくです。
100にんのはくしがうまれたら、8人がゆくえふめいしぼうしています。

がんばろう。がんばれー(誰ともなく)

追記:

身に覚えのある人たちはてなだけでもこんなに沢山。みんな苦労してるんだなあ。ううぅ…。

さらに

「博士が100人いるむら」のオチはマジなのか?
http://d.hatena.ne.jp/rna/20050505/p1

事の真偽はともかく、「博士だけじゃなく修士や大卒も自殺率高いですよー」と言われても何の気休めにもならないのだけど。
オチの数字を自殺と解釈するのはおかしいのでは?という結論。まあ元の文章でも別に嘘は書かれていないんだけど、自殺率と「死亡・不詳の者」の数字を比較しているので、意図的なミスリーディングを感じるのは確か。

ちょっと補足

このエントリでなんだかんだ言いながらもどこか他人事みたいに書いているのは、自分にとって就職することそのもののウェイトはそんなに重くないから。というか、人並みに就職したいというなら素直に修士卒で行きましょう。博士に行く人は、何か(修士卒ではできない)やりたいことがあるから行くんじゃないの? 就職できるかできないかではなく、やりたいことができるかできないかで考えた場合、博士卒も決して悪くない選択だと思うのだけど(分野によって違うだろうけど、少なくとも自分の所属している工学系の場合はそうだと信じている)。はっきり言ってこれはハイリスク・ハイリターンのギャンブルみたいなもの。でも、リスクのない道なんてどのみちないわけだし。究極的には、あなたは仕事がしたいのか、それとも給料が貰いたいのか、という価値観の選択になるだろう。

ここで、以前引用したPaul Grahamの言葉を再度引用する。
ハッカーと画家』(ISBN:4274065979) 第6章「富の創りかた」より

会社とは、人々が集まって他の人々が欲することをやる集団にすぎない。人々が欲することをすることが重要なのであって、集団に属することは問題じゃない。*1

最近思っていることに、研究者、それも博士まで行くような人というのは、エリートというよりむしろ異常な(ある種の規格外の)人種なんじゃないか、というのがある。言うなれば社会的な突然変異だ。だから全員が環境に適応できるわけではない(しなくてもいい)し、そのうちの何割かが成功すればそれで良い。ただし社会の中にある程度存在していないと全体の進化が止まってしまうという、そういう存在なんじゃないか。だから100人の村で最後に残った8人は、可哀想だけど必要な犠牲だったと思って諦めてもらうしかない。(自分がそうならない保証なんてどこにもないけど、あくまで他人事のように)

*1:そういえば、子供の頃に英語では会社とコンパニオンがどちらも「共に集う」という意味の同じ語源から派生した言葉だと知って驚いた記憶がある。ちなみにコンパニオンと聞くとどうしてもパビリオン(の受付のお姉さん)を連想してしまうが、それはまた別の話。