ヒトはいかにして人となったか 言語と脳の共進化

ヒトはいかにして人となったか―言語と脳の共進化

ヒトはいかにして人となったか―言語と脳の共進化

まだ途中までしか読んでないけど、なかなか興味深い話題が多い。少し長くなるが気になった部分を引用する。

ホープフル・モンスター説の魅力
言語進化は進化の必然だとよく言われる。これが進化の方向であり、人間のとった道であった。(中略)外見には、進歩は自然淘汰に付きもののように思われる。適応が少しずつでも進むかぎり、進化が長いほど出来具合いもよいだろう。知能は進むべきものであるから、それが止まることは退行淘汰だという研究者もいる。(中略)しかし進化における進歩思想は誤った常識であり、デザイン的世界観の気づかれざる落とし子である。(中略)生物進化はほとんど加算的ではない。人の発現遺伝子のレパートリーはネズミやカエルのそれとほぼ同じで、あらゆる脊椎動物の身体構造は、脳ですら同一設計の改造に過ぎない。ヒトの体や脳は大きい方に位置するが、それも新しい器官が加わったわけではなく、既存のものが少しばかり変化し、大きくなっただけである。(中略)進化はあらゆる方向に広がるが、ある方向に可能性が高いということはある。生物は小さく、短命からスタートし、大きく、長命になっていく。(中略)それにもかかわらず小さな脳の生物が大きな脳の生物との競争に敗れることもなく、また植物や単一細胞の生物のように脳がなくても、その数はヒトより莫大である。ただヒトは「生涯にわたって多くの情報を処理する」という隙間に遺伝子がたまたま入り込んだ非常に希な進化の方向にあった。
――第1章 人間のパラドクス pp.11-13

語とその意味の関係について多くの理論がある。哲学、心理学、言語学は何世紀にもわたってこの問題を議論し、近年はコンピューターと「人工知能」の登場で議論は一層熱を帯びてきた。このことで私が奇妙に思うのは、学者もエンジニアも、このレファレンス形式の異常さに気がつかないことである。動物の世界には語や文に当たるものがないことが、この問題を考えるに重要な意義をもつ。鳥も哺乳類も、頭蓋の中に脳という強力なコンピューターがあるのだが、ヒトだけが記号レファレンスを使うのである。その希なことを無視しているがゆえに、なにか肝心なことをミスしている。
――第2章 言葉がないとき p.40

動物の鳴き声やゼスチュアを半端な言語と見なすことは進化の系列を逆にするだけでなく、機能的依存関係を逆にすることでもある。動物の非言語交信はそれで十分であり、それを獲得するにも解釈するにも、言語からの支援はなんら必要ない。これはヒトの泣きや笑いのようなゼスチュアでも同じことである。
(中略)
言語は他の交信を超えるものでもなければ、それに代わるものでもない。言語はそれと一緒に、その関係の中で並行的に進化した。じじつ、ヒトにおいて言語と非言語交信は、おそらく共に進化した
――第2章 言葉がないとき pp.42-43

記号は世界の事物のただの写像ではなく、互いの関係を表すものであるから、レファレントの集合に写像するトークンの構造的写像である。記号は世界の事物を直接に指すのではなく、間接に他の記号を指すことによって指すわけであるから、その実体は組み合わせであり、そのレファレンス・パワーは他の記号との体制の中で一つの決まった位置をとることによる。
――第3章 記号は単純ならず p.103